仕事中、トイレへ行くために執務フロアのドアを開け通路に出ようとしたら、ちょうど向こうから後輩(女性)が執務フロアに入ってくるタイミングだったようで、ドアを開けてわたくしが通るのを待っていてくれました。
わたくしは後輩に「ありがとう」と告げたのち十数歩でトイレへ入り、手際よく排尿行為に移ります。
よくある光景ではあると思います。
そのいっぽう、「ありがとう」の感謝から排尿行為までの時間的空間的長さは、地球規模で解釈すると、わずかとも考えられます。
排尿行為に取り組みつつ、わたくしは以前使っていたGPSロガーの時空間の捕捉が電圧低下に伴い曖昧になっていたことを思い出しました。わたくしは、「もしもいま、時空間の定義が急に曖昧になったら…」と妄想します。何らかの要因により、距離や時間の端数が丸まってしまうのです。
十数歩の移動距離や、「ありがとう」から排尿行為までの時間は、地球規模で考えると もはや誤差の範囲。
そう考えると、ドアを開けてわたくしが通るのを待っている後輩のその位置で、十数歩先/数十秒先に開始されるハズの排尿行為を始めても、おかしくはありません。時空間の端数を無視するとは、そういうことです。
「誤った箇所とタイミングにおける排尿行為」により、あっという間に解雇され懲役に服するわたくし。その刑期も、数億年かけて大陸の分離集合を繰り返す地球規模で考えれば、やはり端数といえるでしょう。
地球規模で考えれば人間なんてちっぽけであり、そのちっぽけな時空間が人間の知見のすべてであるのです。
妄想から現実に意識を戻したわたくしは、正しい時空間に正しくおさまるそのお小水を確かに感じ、時空間の安定を切に願いました。