繰り返し述べていることですが、いまデファクト・スタンダードとなっているもの、みなさんが日常として受け入れているもの、そういったものでもやはり、それを最初に考えた人がいるのです。
わたくしはその人を尊敬し、讃えたい。日々、そう思っています。
今回は「局部は顔写真で隠す」です。
テレビの演出で、全裸となっている人の局部を、その人の「カオ」で隠しているシーンがあると思います。
これを最初に考えた人は、わたくしは本当の天才だと思います。
モザイクでもボカシでも黒丸やお星さまといった図形でも、局部の放送を自粛するための手法はいくらでもあると思います。
それを、その人の「カオ」で隠す。格段に面白さが増し、事例の画像のようにそれが「笑顔」だと画面も明るくなります。
モザイクやボカシだと、何だかガチになってしまいますよね。図形に文字「禁」や「金」でも面白いですし、その人の代名詞(例えば「団長」「先生」など)でもいいのですが、文字だとメッセージ性が強すぎます。一方通行となり視聴者に考えるスキを与えない。
その点、「全裸だから当然カオそのものは出ている」のにダメ押しで「自粛すべき箇所を隠す手法は、その人がその人たる顔写真」という、いい意味でのしつこさが、視聴者に気づきを与えます。「ここは見ないで、かわりに俺を見て!」ですからね。(事例の画像では、さらにワイプでも登場しているのがすごい)
また、「局部≒カオ」というメタファも深いです。
こういった演出方法を最初に考えた人は、なぜ「股間は顔写真で隠そう」と思ったのか。直感なのか偶然なのか解りませんが、そこには論理矛盾と論理整合が二律背反に同居しているようでエンターテインメントとしても昇華しており、天才としか言いようがないなと思います。