東日本大震災が日本に与えた影響は甚大で、「戦前」「戦後」と同様に「震災前」「震災後」と時代の転換点であったと考えているわたくしですから、この本を手に取るのは自然です。
東日本大震災は、SNSが普及・浸透して初めての巨大な災害でした。
SNSがかなり有用であったのと同時に、真偽不明な情報が拡散されてしまったのも周知の事実です。では、その真偽不明な情報、すなわち「流言・デマ」と言えるものにはどんなものがあったのか、を検証したのが本書です。
本書は災害発生から4か月足らずで出版されたもので、キレイにまとまってないところもありますが、その速報性に「これを早く教訓として欲しい」という思いが感じとれます。
まず圧倒されるのは、「流言・デマ」の多さです。数々の「流言・デマ」が拡散され、冷静に考えれば妥当性に欠ける内容であるとわかるものなのに、それが拡散されてしまった背景に、物理的破壊とは異なる災害の怖ろしさというものも感じられます。
「流言・デマ」の特徴として、「メディアは報じないけど」「自衛隊や電力会社の友だちから聞いたのだけど」といった定型文がありました。自分の情報に権威性や特殊性を持たせて、価値を付加させるのです。
情報は単なる「事実」でしかないので、そのような権威づけの定型文は意味をなしません(発言するのが誰であっても、事実であれば情報の価値は変化しません)。またふつうに考えると、正しい広報はオフィシャルなルートでメディアを通しておこなわれるハズです。
情報に、情報そのものとは無関係な装飾が施されているときは、その情報の信憑性を疑ったほうがよいな、と思いました。
いま、幸いなことに大きな災害は発生しておりませんが(もちろん復興中の地域はあります)、それでもSNS上では真偽不明な情報が錯綜することがあります。平時でもこの体たらく。
なんびとの身体や生命や名誉や財産などを傷つけない内容であれば、テキトウな内容の情報がSNS上を駆け回っても問題ないと思うのですが、やっぱり情報を取捨選択する能力は、今後必要になっていくだろうなと思います。
前回紹介した『ダメな議論』と本書を読めば、「怪しい言説の排除法」を身につけるのに役立つと思いますのでオススメです。こういった本は、高校生くらいから読んでおけばよかったな、と思いました。