「この本はいい本である」という評判を聞いているワケですから、この本を手に取るのは自然です。
日本の資本主義・実業界の父と言われる渋沢栄一さんが、生前に講演などで話されていた内容をまとめ、現代語に訳しているものです。読みやすくてありがたい。
渋沢さんは、日本の名だたる企業や団体(王子製紙/東京ガス/サッポロビール/JR/帝国ホテル/東京証券取引所/聖路加国際病院など)の創始者であり、またそれらはあくまで「私」ではなく「公」のために興しております。その背景にはどんな気概があったのか、それがこの本に書かれています。
明治時代が始まりまだまもないころから、経営に道徳を調和させようとしていた、否、道徳から経営を実践していたのが渋沢さんであります。その経営哲学の先見性は本当に素晴らしい。「マジで?」の連続。ここでの道徳は、儒教の「論語」に基づいております。
ただ私利私欲のためにお金儲けをするのではなく、社会や国家のためにお金儲けをするのが正しく、そうであるならば、お金儲けを卑下することなんてなにひとつない。儒教ではお金儲け=賤しいことという考え方がありましたが、渋沢さんはそれはあくまで私利私欲の賤しさであることとし、社会や国家のためであればヨシ、日本を先進国に一員にするんだと、企業を興しまくったのです。
この本に書かれていることは、端的には「人としてどうあるべきか」です。しかもその内容は、驚くほどいまに通じています。
100年前から「人としてのあるべき姿」は決まっていて、でもそうなるように実践できている人は少ない。もしこの「人としてのあるべき姿」になるための作法を国民すべてが渋沢さんの言うとおり実践できていたならば、この『名著』は陳腐すぎて世に残らなかったでしょう。
それを実践し大成功を修めた渋沢さんはやはり偉大であると同時に、一般的な人間ができていないこと(怠けてしまうこと)は100年前から変わらないのだなと思いました。
あと、この本を読むと100年前の当時から「最近の若い者はなっとらん。昔の青年はもっとしっかりしとった」と言われていることも解りました。
ただ渋沢さんは「昔と今の若者を比べても環境も教育も何も違うから意味ないじゃん」と言っていたので、やはり渋沢さんはメタ的な視点を持っていたようですね。
また、渋沢さんはそれだけ成功し富を築けたのにもかかわらず「成功や失敗、あるいは金銭などは、泡やカスのようなもの」と言っていました。結果がどうであろうと、その行動に「志」があったかどうか、それが大事であると。目的のために手段を選ばないのは間違っている、と。さらには、「おカネを正しく遣わないヤツはバカ」とも。成功した/失敗した/おカネが手に入った、と「結果」に一喜一憂しているようでは、渋沢さんのステージには達していないのです。
渋沢さんは「論語」を基にした経営哲学に則り行動し、渋沢さんにとってはそれ自体が「成功」「やってやったぜ」であったのでしょう。
この本は、ごくわずかに時代に合わない箇所もありました(先輩の言うことは絶対、みたいな記述)。
ただ、社会に生きるすべての人に読んでもらいたい内容であることは言うまでもありません。「オススメです」ではありません。「いますぐ読みましょう」。