幼少期や学生時代、つまり保護者のもとで生活していた際に、当人の希求していたモノやコトがその保護者によって制限されていた場合、当人が社会的経済的に自立したのちに、そのモノやコトに異様に執着することがあると思います。
たとえば、親からゲームを禁止されていたゆえに大人になってからゲームに異常なまでにハマったり、門限の厳しい家で育ったがゆえに大人になってから性的に奔放になったり。
わたくしの場合は、幸いにみすぼらしいながらも自由な家で楽しく育ったので、逆に人生に現実感をもてていないかも解りません。なんとなく生きてきて、大した努力もせず、それなりに安定した生活を送っています。運がよかったのかも解りません。
怖いのは災害や失業や電車内でunkoが漏れたりとかして、社会的経済的に生活が不安定になることです。安定した生活が送れれば、楽しく生きていけると思っています。
で、ここで文中に脈絡なくでてきたunko。
実は幼少の頃、わたくしは人前で「unko」は恥ずかしくて言えませんでした。さも「『unko』なんて言ってはいけません」と、厳しくしつけられた家庭で育ったかのように。家では母と姉がunkoがどうのとよく話していたので、まったく禁じられてはいませんでした。
幼少期といえばunkoです。ただひと言「unko」と声に出せば大爆笑をかっさらい、それだけで時代の(教室の)寵児になりえた単語であります。そのunkoが、言えなかった。ただ、恥ずかしかった。なんか、イヤだった。
意味なくみずからに「unkoなんて言ってはいけない」とブレーキをかけていた幼き頃のわたくし。
制限され抑圧されていた感情が、大人になったいま、爆発するーー
いまこの記事のタイトルをあらためて見ていただき、文中にたびたび出現するアルファベットで書かれた「unko」。そして最後に、この記事につけられたタグを見ていただきましょう。
ただ、不思議なもので実物はニガテなんですよね(実物はくさくてオエッてなる)。やっぱりファンタジーとしてのunkoでないと笑えない。そしてファンタジーとしてのunkoが、わたくしが希求している正しいunkoとして成立していると思うのです。
まるで、東京に住み東京を謳歌し東京の文化を創っている多くが、地方出身者であるかのように(東京生まれ東京育ちの歴代都知事って意外と少ない)。