スポーツジムのランニングマシンで走っていたら、なぜか感情の起伏が激しくなりました。
わたくしが10Km/hで ひぃひぃ言いながら走っていると、自分の右隣のランニングマシンをおばさんが使用し始めました。
おばさんは恐らく4Km/hにも満たない速度で歩き始め、ランニングマシンに取り付けられているテレビを観ているようです。それは別に普通。
「ぐはははは(笑)」「ぐはは、え〜そうなの〜?」「うわははは(笑)」
おばさん、テレビの鑑賞スタイルが完全に自宅。
わたくしは ひぃひぃ言いながら走っているのに、横で勝手に自宅を展開させられて、なんだかイライラしてきました。
ババアはだらだら歩きながらテレビを観て笑っている。ランニングマシンは最大60分の時限制で、混雑時は使用者の終了を待つ必要があります。ともすれば、待っている人からは「あのババア、テレビ観て笑ってるだけじゃねぇか!」となるかも解りません。ババア、いい加減にしろよ。
ひぃひぃ言いながら10分ほど走ったわたくしは、ふと冷静になりました。
「いや待てよ、このババアは加齢からくる筋肉の衰えや、なんらかの傷病からのリハビリ中かもしれない。自分が年老いたとき、自分より若い人間から『ジジイ、いい加減にしろよ』とかって同じように思われたらツライな…。おばさんもこんなスローペースかつ自宅の感覚でテレビを観て笑ってるけど、一生懸命に喪った体力を取り戻しているのかも…」。
人は誰もが、主観でしか物事を考えることができません。客観視できているとされる人も、それはその人が考える「客観」です。絶対的な客観視なんて、誰もができないのです。
そうであれば、せめて考えに多様性をもたせるのが妥当です。わたくしは、わたくしの持ちうる「老い事情」に意識と視野を広げ、「おばさん、ごめん。おれ、なにも解ってなかった」と思いつつ、残りの時間をひぃひぃ言いながら走りました。
このように、ランニングマシンで走っていたらなぜか感情の起伏が激しくなってしまったことを妻に話したところ、「生理前なの?」と言われてしまいました。
ちょっと待って、生理前の女性ってこんなに激しい感情の起伏の中で生きてるの? 同一事象の捉え方が、たった10分のあいだに真逆になってるのよ? 思わず口調も女性に。
年齢や性別を超えて、自分の考えにさらなる多様性をもたせなければならないな、と思いました。