JR京葉線を使って通勤しています。
朝は、始発駅である東京駅の次の駅である八丁堀駅から乗ります。
八丁堀駅に滑り込む車両。今朝もまた、7人掛けのシートの中央付近に座って爆睡している人がいます。頭部は窓にもたれ、クチは大きく開いています。
東京駅から八丁堀駅までは約2分。始発駅なので駅に車両が留まっている時間もあるでしょうが、それでも10分やそこらです。通常、シートは端から埋まっていくので、中央付近に座るのは時間的には後のほうと推測されます。
つまり、なにが言いたいかというと、「東京駅から乗った人が、その短時間のうちに、ここまで爆睡することはないだろう」ということです。
しかし事実、このおじさんはものすごく深く寝ているのです。
JR京葉線は、上りの終点東京駅に到着すると、そのまま折り返して千葉方面へ向かいます。爆睡しているおじさんとわたくしが対峙しているこの蘇我行きの電車も、数分前までは終点東京駅にあったのです。
この爆睡おじさん、終点東京駅で起きて降りるハズが、寝っぱなしのままなのでは…?
そう考えると数々の平仄が合い、同時にその「やっちまった感」の重大性に背筋が震えます。
しかもこういった爆睡おじさん、週に一度は見ています。毎回違う人。
通勤電車とは同じ日々の繰り返しの象徴のようなものではありますが、その一方で、この東京のどこかにクリティカルな「やっちまった感」に苛まれている人がいるかと思うと、いつもの通勤に緊張感が増してきますね。