わたくしが思わず放屁をしてしまうと、妻はその非礼を指摘してきます。
「ぶっ」「ちょっと」
「びっ」「なんなの?」
「ぷぅ〜」「最悪」
「ぼっ」「ふもちゃんがかわいそう」
「ぶーっ」「ふもたんもあきれてる」
“ふもちゃん”というのは飼っているうさぎ(かわいい)の愛称なのですが、後半2つは、それを持ち出し仲間を増やしてまで、わたくしの非礼をなじっています。ちなみにうさぎ(かわいい)は、わたくしが見る限り放屁に対し無反応です。
先日も思わず「びーちち」と放屁をしてしまいました。
「大丈夫なの? いまの」
あれっ、心配してくれている…?
いままで非礼の指摘一辺倒であった妻のコメントに、「大丈夫なの?」という いたわりが見えてきました。
わたくしも急ぎ真意を確認します。
「大丈夫って、なにが? 屁の話?」
「なんかもう水っぽかったから」
ソリューション・サウンド(溶液音)が、妻の気づきにアプローチしたようです。
たしかにわたくしの尻は「びーちち」と鳴ってしまい、それを構成するすべての周波数に水気があります。高温多湿の、日比谷線の人形町駅のような音とニオイ。
いずれにしても、いままで妻は「なんなの」「最悪」といった、頭ごなしの否定コメントを発表していました。放屁音そのもの(あるいは放屁そのもの)を一元的に拒否するようなコメント。
ところがここにきて、「放屁音の水っぽさに懸念を表明」です。いったん放屁そのものを拒否せず容認したうえで、その質に対して妻はコメントしているのです。
妻のコメントは非礼の指摘から質の精査へと、1段階上の新たなフェーズに移行しました。
フェーズの移行が完了したことを確認するために試しに「ぼむっ」というのをやってみたら、それはまさかの無視でした。無視がいちばん辛いな…。コメント有無は音質に依るのか…?