『TUMI』のバッグを毎朝の通勤時に見かけます。
この時点ですでに、わたくしの言いたいことの9割は書いてしまっているので、もはや後の文章は蛇足でしかありません。
『TUMI』、つまり「罪」です。
朝の通勤電車は、往々にして混雑しています。ムリヤリに車両に乗り込み、会社員はそれぞれの職場へと向かいます。
混雑している満員電車に乗り込む毎朝を、「通勤地獄」なんて表現するのも普遍です。
「罪」と書かれたバッグを背負って。
地獄とは、現世において悪行をはたらいた者が報いとしての苦行を受けるところ。すなわち、「罪」と「罰」。
「罪」と書かれた布袋(ふたい)を背負い、通勤という名の地獄に消えてゆく。
先哲は、「存在すること自体が罪」と説きました。
であるならば、『TUMI』というブランドのチカラは果てしなく深い。カバンという、利便性を追求する商材にあえて「罪」と読める名称を与えた。
わたくしたち人類は有史以前より考え、あらゆる困難を克服し、よりよい生活を求めてきました。未来に向けてもそれは変わらないでしょう。しかし、それ自体がすでに、「罪」であると。
さらにいうと、文明の利器である「鉄道」を「地獄」とわたくしたちは表現し、つまりそれは「罰」とイコールです。
「罰」に呼応する「罪」なのか。
「罪」に対応する「罰」なのか。
ひとつ確実にいえることは、この文章にまったく意味がない、ということです。