あらゆるものには「終わり」があって、それは解っているつもりなのですが。
生まれたときからいままで、地元に根付いた生活を送っています。
足立区内の実家を離れても、妻の実家も足立区内ですから、足立区を出る理由はなく、わたくしたちは足立区内にマンションを買いました。いまの住まいはお互いの隣町で、たとえば妻は小さい頃からのかかりつけの内科医にいまも行っています。
なじみのある土地でお互いに生活を送れているのは本当に幸せであると思っていますし、反面、視野も狭くなってしまっているかなとも思います。変化が怖い。
わたくしが利用しているクリーニング店は個人で営んでいるところで、そこに自分の学生服なんかを持って行っていたりしたので、もう20年くらいの関係性になるかと思います。仕事がていねいで、お店のおじさんも優しい人柄で、安心して利用できるお店です。
実はいまの住まいに引っ越したとき最寄りのクリーニング店に乗り換えてしまったのですが、あまりにウデが悪く(シャツのボタンがズタボロになっていたりした)、結局優しいおじさんのクリーニング店に戻った背景(ドラマ)もあります。ちょっと遠いのですが。
その優しいおじさんのクリーニング店が、閉店してしまう。ものすごくショックを受けています。
すっかり忘れていたのですが、そういえば月日は流れていたのです。地球上において、時間は不可逆でした。
優しいおじさんもトシをとり、店じまいを考えます。そうだ、わたくしもいつまでも子どもではなかった(36さい)。
「あたらしいクリーニング店を見つけなければならない」ということより、「永遠なんてないんだな」という当たり前で、でも残酷な事実が、わたくしに重くのしかかってきます。
わたくしも「終わり」を見据えて行動し、ポイントポイントで結果を確認していかなければなりません。優しいおじさんもそうすることで、「店、閉めよう」と決断できたのだと思います。
優しいおじさんは「終わり」を見据えたうえで、「今日は特別暑いね〜」といつもどおりにコメントしていました。
正しく「終えられる」ことのうえに、いつもどおりを載せられる。すごい勇気です。
あらゆるものには「終わり」があること、解っていかないとな。