メッセージ性のないものが怖い。
意味や目的の中にわたくしたちは生きていて、それが解ることで安定を感じます。逆にいうと、意味や目的の理解に安定を求めているのです。
タモリさん(タモさん(タモさま))は言いました。「人は意味に縛られ生きている」「重苦しい意味の世界」「意味がなくたっていい。物事を少し斜めから見るのがおもしろいんだ」と。
これらは暗に、「意味や目的が解ることの明るさ、ラクさ」を言っているのだと思います。
つまりわたくしは、意味や目的、別の言い方をすると「メッセージ性」、それがないものを恐れています。
これらを踏まえ、以下の画像をみてください。

東京メトロの車内広告です。
怖くないですか?
「ジャムから生まれたジャムムです」以外に特段のメッセージはなく、本来の車内広告にあるハズの消費者に購買を訴求するようなメッセージ性がまったくありません。そもそも「ジャムム」ってなんなんだ。みなさんおなじみのジャムムですみたいになっているけども。
意味はなんだ、目的はなんだ、なにを伝えたいんだ、そもそもお前はなんなんだ。考えれば考えるほど怖くなってきます。
車内広告は欠点を指摘するものばかり(電車内で欠点を指摘される朝)であるという記事を以前書きましたが、意味を持たない広告のほうが個人的には堪えました。何を考えればいいのか解らないので。
すべてのものにメッセージ性があると考えることはよくない、すなわちタモリさん(タモさん(タモさま))の正義が、またしても証明されてしまったのです。
わたくしたちは不運や失敗や災害、ましては死にまでも意味やメッセージ性を求めがちですが(そのほうがラクでしょ?)、そんなことはない。意味や目的がないものだって、当然に存在するのです。
一見メッセージ性が皆無である「ジャムから生まれたジャムムです」は、そんなことをわたくしに教えてくれたのです。ホラ、そのほうが、ラクだから。