交番前の交通事故による死者数/負傷者数の掲示

子ども心(ごころ)に怖かったもの。それは、「交番前の交通事故による死者数/負傷者数の掲示」です。

交番前の交通事故による死者数/負傷者数の掲示イメージ
交番前の交通事故による死者数/負傷者数の掲示イメージ

日々のニュースでは、かなしい事件や事故が日本や世界で発生していることを報道していますが、そこに報道されていなくとも、こうして都内では交通事故で人が死んでいる。この「交通事故死とは特別なことではない」と感じられる事実が非常に怖く、松岡少年の背筋を凍らせるに充分でした。

なんというか、お化けとか心霊現象とか、そんなあるかないか解らないものよりも、こういった事実のほうがよっぽど怖い。

淡々と「昨日、人が死にました」と万人に向けて公表していることも怖いし、その横にふつうのカオをして立っている警官も怖いし、その前をふつうに歩いている一般人も怖い。
『死』とは現実に起こりうる究極の恐怖であるハズなのに、同じ都内で起きている『交通事故死』を報道も警官も一般人も「見ないことにしている」ことが、それ事態がむちゃくちゃに怖かったです。もはや「数字」自体が怖い。

いま考えれば、多くの人は「社会と自分」をある程度分断して(あるいはある程度距離をとって)生きているのだと思うのですが、松岡少年はそれがうまくできていませんでした。
自分の生きている現実を延長していけばそれは世界になり、それは当然にすべてつながっています。だから交番前の交通事故による死者数/負傷者数の掲示も、わたくしのすぐ横にある現実なのです。

そもそも「なぜ事故で死んだ人の数を掲示する必要があるのか」、その理由が解らないことも怖いし、とにかく怖いことだらけなので、とくにオチもなく筆を置きます

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