情報が人間を媒介して伝達される場合は、その人間の主観(希望や懸念や感情など)が含まれるため、正確性についてのリスクが伴います。
先ほどNHKニュースを観ていた際、2016年10月21日に発生した鳥取地震における今後の余震の見込みについて、NHKの記者が以下のように話していました。
「気象庁は、今後一週間以内に震度6弱の地震があるとのことで…」
気象庁が発表した情報は以下です。
「揺れの強かった地域では、地震発生から1週間程度、最大震度6弱程度の地震に注意をしてほしい」
言葉尻は似ていますが、内容はまったく異なります。
いまは情報収集が容易なので、前者の内容がそのまま人から人へと拡散することはないと思いますが、記者の言葉足らずさが極めて危険であるなと感じました。ひと昔前ならばこの内容に尾ひれがつき、デマ騒動へと発展しかねません。
人間が媒介する情報のリスクを、如実にあらわしています。
さて先日、兄から以下のようなメールがありました。
「いまどこのスポーツジム行ってる? 実家行ったら『竹の塚の朝日スポーツに行ってる』と聞いて、オレもそこに行こうと思ってるから評判を知りたくて…」
いや、わたくしが行ってるのは西新井のセントラルウェルネスなのだよ。
竹の塚の朝日に行っていたことも、実家で母親に竹の塚の朝日についてを話したことも、どちらもないのだよ。
情報が『母親』を媒介すると、なぜこんなにも極大なひずみが生じてしまうのでしょうか。わたくしの母親は、リスクの象徴なのでしょうか。
でもお母さん、いつもありがとう。生んでくれてありがとう。生まれてごめん。
わたくしは兄に、竹の塚の朝日に行ってるというのはガセネタであり西新井のセントラルに行ってる旨、西新井のセントラルの大浴場が快適である旨を返信しました。
5日経ちましたが、兄から返信はありません。