近所のガソリンスタンドに掲げてあった看板です。
この看板を見て、わたくしは不思議な感覚に陥りました。
すなわち「意味は解るけど、意味が解らない」感覚。
前者としては、「化石燃料や原子力による発電所から送られてくる電力をなるべく使用せず、自前の太陽エネルギーで発電した電力を使用しています。つまり再生不可能エネルギーによる電力に限っては、節電しています。」という意味を含んでいるのでしょう。それだけの背景を慮れば理解できますし、このロジックは複雑なワリに意外とたやすく発想できると思います。
後者としては、「太陽エネルギーによる電力を使用している以上、節電ではない」ので、意味が解りません。「太陽エネルギーを使っている」は、節電、つまりエネルギーを省力化することとは真逆です。ロジックとしてはシンプルではあります。
このように分解してみると、意味が通らない方はその理由が単純明快であり、意味が通る方は読み手にかなりの前提と知識と検討を求めています。
これを理解することが「読解力」であり、これを理解できないことが「読解力不足」とするならば、それは書き手の責任放棄としか思えません。しかしながら「太陽エネルギーで節電している」ことが何を示しているのかが充分に理解できるのも、また事実でしょう。
論理的誤謬があり妥当とはいえない文章なのに、それを超えたところで意味が伝わっている。論理的整合が意味の成立であるとすれば、「太陽エネルギーで節電しています」の短い文章は、矛盾の存在に成功しているのです。
わたくしは文章を書く仕事はしていないのですが、「正しく伝わる文章とはなにか」を常に考えていますので、この看板のメッセージはかなり衝撃的でした。正しくないのに正しいとは。
その一方で、常識を前提とした文章(を書くこと/読むこと)の難しさも感じてしまいました。今後は価値観や個々人の多様化がますます進むと思うので、「どこまでを常識とするか」の調整は難しくなるでしょう。
この看板の文章の良し悪しはわたくしには解りませんが、この看板が「節電している」以上のメッセージを発信している点は「よいこと」だと思います。
やはり世界は、すぐ近所であってもナゾが多いのです。