『悪意の心理学』という興味のひかれるタイトルですから、この本を手に取るのは自然です。
本書では悪意があるように見られるコミュニケーションをいくつかに分類し、それぞれを多角的に考察しています。
ゆえに、本書では最初から最後まで順番に読まずとも、興味のある章だけを参照することも可能な作りとなっています。わたくしは全部読みましたが。
人の心はぜったいに読めません。
例えば、多くの人は「相手がウソをついているとき、視線が不自然になる」と感じています。それは半分当たっていて、半分間違っている。
すなわち、「視線が不自然になっているとき、ウソをついているとは限らない」から。発言に自信がなかったり、相手が自分のことを怖がっていたら、自ずと視線は不自然になります。確かに「ウソをつくときに相手の目を見られない」のことはあるのですが、相手の目を見ないで話すことイコールウソをついている、ワケではありません。
相手が話している事柄の真偽の妥当性すら正確に判定できないのですから、もっと複雑なつくりをしている「心」なんてものを読めるハズがないのです。
人の心は読めない上で、本書ではコミュニケーションに存在する「相手の悪意」「自分の悪意」を分析しています。
「相手を貶めよう」という意識が働かない限りは、基本的には「人の心が読めない」ことによる認識の差異が結果的に「悪意」となり、相手を傷つけたり自分が傷いたりします。それぞれの仕組みや理由を本書では事例をふんだんに採り入れ紹介しています。「こういうことあるな〜」が多いです。
ではそれら「悪意の心理学」にどう立ち向かうかという結論が「気にしない」「ガマンする」「陰口を言う」のようなものだったのにはややしりすぼみ感がありましたが、原則的にコミュニケーションは完全や正解はないので、そのような対処が正しいのかも解りません。
本書はコミュニケーションのとりかたとして気をつけるべき点について論じている箇所も多いので、「悪意を持たない/持たれない」処方箋としても有効かと思います。