宇宙の外側はどうなっているかを常に気にしているわたくしですから、この本を手に取るのは自然です。
本書では、宇宙の姿をあらゆる角度から論じています。宇宙の初期の姿、宇宙の始まりに起きたこと、宇宙の形、宇宙に在るものと未来、そして宇宙の外側。
宇宙の姿をつまびらかにしてこそ、宇宙の外側の検討ができるのです。
では「宇宙に外側はあるか」について、この本ではどう結論づけているかというと、あれ……明確には書かれていないようです。あるのか、ないのか。まったく解りません。
そもそも宇宙自体がどういったものなのかその範囲も解っておらず、果てがあるのかないのか、3次元以上の次元があるのか。実体としてよく解らないものであれば、そこに外側があるのかも解らない、といったことなのでしょうか。
読み進めていくと、「解らなさ」の金字塔である『量子論』が出てきました。
量子はすべての物質の最小単位です。その量子は、観測しない限り位置は不定であり、観測した瞬間に位置が特定されるそうです。つまり、わたくしたち人間が見ている世界や宇宙というものは、わたくしたち人間が見たいように見ている世界や宇宙であるということとなります。
その人間が見ている宇宙とは、本当の宇宙の姿なのか。そんな宇宙に外側はあるか。考えるだけムダな気がしてきます。
宇宙の姿を究極的に客観視(メタ視)していくと、哲学的になってきました。
以前読んだ本(規則と意味のパラドックス)に書かれていた、「グルーの物質」の件(くだり)を思い出します。すなわち、「地面に埋まっているある物質がブルーであるかグリーンであるかは、掘り出した時点で確定する。よって、地面に埋まっている時点では、ブルーとグリーンの両方の色である「グルー」であることを否定できない」です。これは、まさに量子論と言えるでしょう。
哲学は思考実験であるとともに、宇宙の本来の姿を示唆しているのかも解りません。
本書の終盤では、量子が観測ごとに分岐してゆく多宇宙(マルチバース)について言及されています。
人間が選択しなかった側の宇宙、人間が論理的に考えられない側の宇宙、そういった宇宙が無数に存在する可能性もあります。それらを前提とする場合、では「外側」を検討する宇宙とはどの宇宙か。そもそも「外側」とは何か。いや、「存在」も実は何か解らない。もはや、ワケが解りません。
「宇宙に外側はあるか」、この結論に到達するのには、人類にはまだ進化が必要な気がします。
煙に巻かれて読了した感じは否めませんが、宇宙とか哲学とかが好きな御大にはオススメです。