会社の後輩(男性)にテキトウなことをもっともらしく話していたら、「どうして意味のないことをそんなに論理的に話せるんですか?」と、なかばあきれたようすで言われました。
たしか、新婚旅行にいく直前の彼に「新婚旅行に向けての宿題」みたいな内容を、デタラメとアドリブに度を超した説得力をもたせて語っていたのだと思いますが、詳しい内容は忘れました。
なぜなら、どうでもよくて意味のない内容だったから。その時その場が異様に明るく楽しくなればそれだけでいい、すなわち「これでいいのだ」。
さて、「どうしてそんなに意味のないことを論理的に話せるのか」という感想。
わたくしにとってこれは、最上級の褒め言葉と解釈しています。
意味のないことやどうでもいいこと、さらに言えば誰も傷つけないウソ、これらを論理的に話し異様なまでの説得力をもたせ、若者を煙に巻き立ち去るおじさん。若者は「なんだったんだ」と言い、おじさんはそれを聞き背中で笑う。
わたくしの憧れはこういうおじさんですから、「どうして意味のないことをそんなに論理的に話せるのか」という感想はもう、『完成』と考えています。
ここでポイントとしたいのは、「完全には信じてもらえていない」ところだと思います。
「ああ、あのおじさんはテキトウなことを言っているな」という感想をいだかれ、フィクションとリアリティの境目がキチンと共有できているところはたいせつにしたい。
わたくしのテキトウな発言やウソの内容が完全に信じられてしまっては、これはよくない。ただのウソつきクソ野郎ということになってしまいます。
言葉や論理をこねくり回してデタラメに厚みをもたせるワザをさらに磨き、「テキトウなことばっかり言うしょうがないけど楽しいおじさん」を到達点として、ゆるく過ごしていこうと思います。