わたくしがスポーツジムのトレッドミルで走っているあいだ、となりのおじさんはトレッドミルの据付のテレビでマラソンだか駅伝だかを観ながら走っていました。
おじさんは、どういう心持ちでその映像を観ていたのでしょうか。
さすがに、そのマラソンだか駅伝だかに参加している何人目かのランナーとして自分をカウントしているとは思えませんが、かといってまったく意識していないとも言えないでしょう。自分と画面の向こう側に、なんらかの共通項を見出していると思います。
「マラソンだか駅伝だかのみんな、がんばれ! おれもがんばって走ってるぜ!」
うーん、やっぱり考えづらいな。
そんなテンションには見えない。
まったくなにも意識していないかというと、おじさんはぼんやりした瞳ではあるもののマラソンだか駅伝だかを確実に観ている以上、なんらか意識をし、そして根底のつながりを感じているハズ。
でもそれが、どういった心持ちなのかは皆目見当がつかない。
マラソンや駅伝には必ずゴールがあるけれど、個人の想像と考察は往々にしてゴールには到達できないのです。
世界はナゾに溢れていて、それは自分のすぐとなりにも展開されていることをあらためて認知し、今宵は筆を置きます。
まあ、結論的にはタイトルに書いてあるとおりなんでしょうけどね。