ひさびさに会った友人に「西新井駅のほうに引っ越したんだ」と伝えたところ、「そうなんだ、駅のどっち側?」と聞かれました。
「東口のほうだよ」とわたくし。
「ああ、歯医者のあるほうね!」と友人。
一説には、全国に存在する歯科の数は、コンビニのそれよりも多いとのこと。
この東京において、どの駅のどの出口側にも、だいたいの蓋然性で歯医者はあります。
友人の思っている側–歯医者がある側–の駅の出口と、事実としてわたくしが住んでいる家の最寄りのほうの駅の出口とに、一致が見られているかどうかは、もはや解りません。
問い尋ねてもしょうがないので、「たぶんそう!」とわたくし。
「あっち側か〜」と満足気な友人。
こんなに要領を得ない「あっち側か〜」もなかなかない。
自宅から駅まで行く途中でいくつかの歯科の前を通り東口に到着し、駅の西口から数分歩けばいくつかの歯科の前を通ります。友人はこの中のどの歯科をイメージしていたのでしょうか。
そして、せっかくわたくしが「東口」と方角を一意に特定できる情報を提供したのに、なぜ友人は「歯医者のあるほうね!」と情報を発散させたのでしょうか。
わたくしは街で歯科を見かけるたびに、「そろそろ歯医者さんで検診してもらったほうがいいな」の懸念を凌駕する勢いの、あのときの「ああ、歯医者のあるほうね!」にさいなまれるのです。