母親が引っ越すということで、実家に置いてあった幼きわたくしの写真を回収してきました。まあ実家とは言え、そこで生活していたことはないのですが。
“昭和”としかいいようのないカーテン・カーペット・服装・デザイン・空気感。
あらためて思うのは、幼児ってすべすべしていて柔らかそうで、なんとなく臭くなさそうなんですよね。
ここから成長するにつれどんどん臭くなっていき、成長が止まることで堰を切ったように加速度的に臭くなる。もっと臭さを、さらなる臭さを。
そうだ。生きることとは、臭くなることなんだ。
以前、わたくしは当サイトに「『臭』という字」について書き殴ったことがあります。
『臭』という字は、「自らの大きさ」であるという結論から始めたこの文章。
しかし正しくは、それに加えて「自らが大きくなること」であると、いまは考えます。
「自らの大きさ」こそ『臭』であり、その『臭』は「自らが大きくなった」結果です。
おぎゃあと無臭で生まれた人間は、大きくなるにつれさまざまな『臭』を身にまとっていく。だから『臭』は、「自らの大きさ」と書くのです。ちょっと『鼻』にも似ている点もまた、興味深いですね。
そう考えてみると、「臭いこと」をただ単に忌避するワケにはいかず、不思議とそれは「誇り」でもあると思えませんか? この臭さは、成長の証左であると。
わたくしはそうは思えませんし、なるべく臭くならないように生きていこうと思います。