長く降り続いている冷たい雨で桜は散り、花びらが濡れた路面に広がっていました。
わたくしの知人で桜を嫌う人がいました。
桜が嫌いというのも珍しいなと思いながら話を聞くと、「花びらが道路とかに広がるのが汚くて気持ち悪い」とのこと。なるほど。
共感はできませんが理解はできます。
落ちた花びらは土ほこりまみれになったりそれそのものの鮮度が落ちたりで茶色くくすんで見た目が悪くなるし、それらがかなりまとまって文字通り足の踏み場もないほどに地面に広がるわけですから、「汚くて気持ち悪い」という理屈は解ります。
道路の側溝とかに花びらが大量に溜まるのも、なんだか気持ち悪いとのこと。
陳腐すぎる総括ではありますが、あらゆる物事には「光と影」「善し悪し」といった表裏があることを、改めて考えました。
解りやすく「そうあってほしい」一面だけを見て、すべてを理解したつもりになることは愚かです。
わたくしは桜に美を感じますし、これは好意的なものですが、いっぽうではそうは思わない人も当然いる。桜に対して美を感じる集団というのはマジョリティであると思いますが、それは決して「すべて」ではないのです。
これは感情ではなく論理です。”A”を仮定する際、同時に”¬A”も仮定しなければなりません。
共感はできないけど理解はできる。たぶん、これで間違ってはない。
多様性に寛容である世界をつくるために必要なのは、感情に寄り添う共感ではなく、論理の展開による理解なのだと、わたくしは考えます。