ボックスティッシュが尽きたため、たたんで捨てようとしました。
すっきりさわやかなひまわりデザインが
お部屋を明るく彩ります。
たたんで捨てようと裏返したところ、こんなコメントが。
こういうスタンスはいいと思います。
ただこのコメント、たたんで捨てようと裏返したときに「あ、こういうスタンスなんだ」と毎回思うものの、捨てた瞬間に忘れてしまいます。
たたんで捨てようとする際に「すっきりさわやかなひまわりデザイン」という言葉が目に入ってから改めて思う、「ああ、これは『すっきりさわやかなひまわりデザイン』だったんだな」。過去形です。
当サイトでかつてご紹介した本『タイトルの魔力』にも、「鑑賞者は絵画そのものから作者の意図を読み取ることはできず、そこに『タイトル』という言葉が与えれ定義さえることで初めて意図を読み取ることができる」とありました。
『イカロスの墜落のある風景』という絵画は、タイトルなしで一見すると単なる海岸の町の生活を描いた風景画に見えますが、『イカロスの墜落のある風景』というタイトルを意識することで初めて、構図右下の海面に墜落している小さな「イカロスの足」に気づくというレトリックです。
エルモアも完全に同じです。
居住スペースに鎮座するこの安定のスタイルからは「ああ、今日も『すっきりさわやかなひまわりデザイン』だな」と認知することはなく「エルモアだな、400枚(200組)ありがとう」としか思えず、たたんで捨てようと裏返した時にこのコメントを見てやっと「そうだそうだ、これは『すっきりさわやかなひまわりデザイン』でしたね」と思うことができます。やはり人間は、言葉と意味のもとに生きている。
もしかしたら、次いで書かれた「お部屋を明るく彩ります」というコメントは、このようなレトリックに気づくことで「人生がより豊かになりますよ」という意味を伝えたいのかもしれません。