友人夫妻(2組)とわたくしども夫妻で、食事に行きました。台東区入谷にある、たいへん美味しい焼き鳥屋さんでした。
友人夫妻には2歳になるお子さんがいて、これもまたたいへんかわいい。わたくしどもには子どもがいないので、物事に対する幼児の反応を見るのも新鮮で楽しい。
わたくしがお子さんを抱っこさせてもらっていると、店内に設置されているミニコンポかステレオか、そのオーディオ機器を指差して「おうた おうた」とお子さんがしきりに言っていました。オーディオ機器はTBSラジオにチャンネルを合わせていて、スピーカーからは松任谷由実さんの歌が流れていました。
しかし、歌が終わっても「おうた おうた」と言っていて、「なんかの歌が聞きたいのかな」とわたくしどもは思い、妻が歌ったりもしたのですが、どうも違うようです。スピーカーの方を指差して「おうた」。いや、指差している先はスピーカーからは微妙にズレています。
わかった、スピーカーの上に積んであったCDを指差しているのね。
CDをお子さんに手渡すと「おうた おうた」といい反応。「そうそう、これだぜ」と言わんばかりです。
お子さんがCDを指差して「おうた」と言う、これってナチュラルでフラットな視点だな、と思いました。
歌が聞こえてくるのはスピーカーやクチですが、スピーカーやクチからは歌以外も聞こえてきます。CD自体からは歌は聞こえませんが、CDを再生機器にセットすると、ほぼ確実に歌が聞こえてきます。
つまり、論理的にも確率的にも「CD⇔おうた」が妥当な解釈なのです。お子さんは、わたくしどもに歌うことを要求したワケでもなく、いま歌が聞こえているということを主張したワケでもなく、CDに「おうた」とラベル付けをしていたのでした。
子どもこそ、論理と確率の世界で生きている。大人はそこに、思い込みとか情報の(誤った)選定とか、自身に都合のよい余計な要素を入れてしまうからダメなんだ。
ただ、1点だけ。
そのCDが「古今亭志ん朝師匠の落語CD」および「立川談志師匠の落語CD」であったのが惜しかった。「両師匠のCDは歌ではない」の判断を下せるのは大人だけ!
ちなみに、店主がなぜ落語CDのラインナップを充実させていたのかは不明です。
お子さんには「志ん朝」「談志」の単語も教え込んでおきましたし、ちゃんと「しんちょう」「だんし」と復唱してくださいました。