「なんのためのマナーなんだ」というのは、結婚式・披露宴関係が最多である気がします。
新郎新婦のおふたりには幸せになってもらいたいし、その門出には失礼のないように臨みたい。一生の思い出になりますように。そのためのマナーだということは解りますし、おふたりの幸せに直結するならば多少の不都合があってもマナーを守ることはやぶさかではありません。
ところが、「ご祝儀の1%程度の金額で購入したご祝儀袋には奇数のピン札を表裏間違えないように入れ袱紗に包んで受付に提出する」は、新郎新婦の幸せとなんの関係があるのか、さっぱり解りません。
わたくしもかつて結婚した際、友人知人や親戚からありがたいことにご祝儀をいただき、それはそれは幸せになりました。もちろん、その本質である金銭を受け取ってのことです。「トータルいくらになるか」が重要で、すぐに口座に吸い込まれる金銭ですのでピン札かどうかなんかまったく見ておらず、ましてや表裏なんかもうどーでもよかったです。披露宴後、ホテルでムチャクチャ真剣に血眼になってお札を数えた思い出があります(大赤字でした)。
これらのマナー、多くの人が「ご祝儀 相場」「ご祝儀 マナー」等で検索しているのではないでしょうか。
つまり、現実に存在する人の多くが「あんまりよく解っていない」「あんまり気にしていない」のだと思います。
どんどん実態と離れていきやがて人々の記憶からも消え、ついにはインターネット上にのみ定義される「結婚式・披露宴のマナー」。すでに仮想空間が現実空間を支配する時代が、到来しているのかも解りません。
そういえばある神主さんが言っていました。「神さまへのお賽銭には『ご縁がありますように』と5円玉や50円玉がよいと言われますが、そんなことはありません。なぜなら、日本の通貨が『円』になったのは、神さまがお生まれになったずっと後のことですから。あくまでたいせつなのはお気持ちなのです」と。たしかに、日本円が導入されたのは明治時代からで、神さまは日本そのものを作った存在ですからね。
たいせつなのは気持ちで、気持ちがマナーを創り出しているのです。気持ちの入っていないマナーなど、手段と目的の倒錯以外の何者でもありません。
クシャクシャのお札はマズイかな…、と思ってお札にアイロンかけたり銀行ATM探したりするのは本当に面倒なので、早く銀行振込OKにならないですかね。絶対にその方がみんな幸せになると思うのですが。
招待状に口座番号書いてもらって、そこへの振込が確認できたら「出席」と判断とか…ダメですかね? ダメか…。なんかそれはダメっぽいな…。