『臭』という字は、因果なもので「自らの大きさ」と書きます。言いたいことはこれだけです。
とはいえ、すこし説明が必要だと思いますので、なぜそう思うかを書きます。
まずは放屁等について。
すごいやつをしでかしたときには自身にオーラをまとったような気になり、自らの大きさ以上のサイズ感を得たかのように思います。
放屁をし、すぐに別の部屋に移り、すぐに再び戻った際は「わたくし」がそこにいました。
「臭」は、等身大の自分にもなりうるのです。
次に加齢に伴うものについて。
わたくしの父は12年前に病気で亡くなりました。ことしは十三回忌です。
しかしある日、父が亡くなってだいぶ経ってから住み始めたいまのマンションのわたくしの部屋に、「父」が「いた」のです。寝室に「父」が「いた」こともありました。「あれ、お父さん?」と、本気で思いました。わたくしも30代中盤になり、父の「臭」を獲得したのだと思います。
「臭」は、その先にある自分にもなりうるのです。
最後に思い出について。
「臭」から鮮やかに思い出が想起されることがあれば、逆に鮮やかな思い出には「臭」があることもあります。
街で香るフレグランスに昔の恋人と観た映画をふと思い出してみたり、昔のゲームをやっていたらそのゲームにハマってたときに部屋干ししていた洗濯物の香りを思い出してみたり。
「臭」は、いまの自分をいまの大きさにした過去の思い出とともにあるのです。
『臭』という字は、因果なもので「自らの大きさ」と書きます。
ギャグ的要素で文章をまとめるつもりが、ふつうにいい話になってしまいましたが、言いたいことはこれだけです。
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