会社の先輩(女性)と飲んでいるとき、先輩が「『たしか…』って言うとき、だいたいそれは不確かだよね」と言い、思わずヒザを打ちました。
過去の出来事を話すときに枕言葉的に使う「たしか…」は、あまりそのことをよく覚えてなかったり、事実誤認の可能性を示唆していたりします。話す相手へのエクスキュース、あるいは頼りない自己肯定の積み増し。
本当に「たしか」なことであれば、「たしか…」なんて言わずに事実をそのままシンプルに述べることができます。
この先輩からの言葉や行動には気づきが多くて、またひとつ新しい観点を頂戴してしまいました。ああ、すごいなあ。
そういえば、例えば「白か黒か」の議論をするとき、「グレーという可能性もあるよね」という人がいた場合、その人は「白か黒かの議論」自体に反対している、という論説をなにかの本で読みました。そのような「グレー」をその議論に加えてしまうと、議論の収集がつかなくなるのです。こういうこと、ありませんか。
これは「白か黒か」よりメタ的な視点、いわゆる哲学的思考をもっているとこの誤謬に気づけるのですが、議論に熱中すると「グレー」も「第三の意見」として受け容れてしまい、往々にして時間をムダにしてしまいます。こういうこと、ありますよね。
先輩の「『たしか…』と言っている時点で、それは不確か」という解釈はまさに、この哲学的思考と言えます。
「たしか」という言葉をそのままの意味でとらえず、ひとつ上の視点で「たしか」という言葉が出てきてしまった背景を考察しています。
わたくしは思わず興奮して「そういう考え方、ほんと大好きです! いわゆる哲学的思考ってヤツですよね! 『白か黒か』の議論に『グレー』を混ぜ込んでくるみたいなヤツ!」と、若干の暑苦しさおよびそれなりの量の唾液を包含して先輩に同意を求めにいきました。
先輩「いや、それは知らない」(ひきながら)。
メタ的に見ると、わたくしは先輩に対し意味不明な発言を繰り返している後輩でした。